2023-11-07 NEWS

秀吉と温泉 その3

有馬温泉 太閤橋(兵庫県神戸市)


秀吉、有馬温泉で戦の疲れを癒す

秀吉はその生涯の中で有馬温泉に9回ほど訪れ、長く続いた戦の疲れを湯治で癒したとされる。

ではなぜ、秀吉は有馬に入湯するようになったのか。
それは備中高松城での攻防から遡ること4年前、1578年の三木城攻めに端を発する。三木を治めていたのは別所長治。長治は初めこそ信長側についていたが、毛利輝元の勧誘により反旗を翻し、三木城において長期戦への準備を整え近隣の地侍や農民とともに城に立て籠もる。万全の準備を整えた三木城が容易に攻め落とせないと悟った秀吉は、まず三木城への補給路を断つ兵糧攻めを行う。この補給路のひとつこそが、同じく別所氏の支配下だった有馬から三木へ通じる湯山街道であり、秀吉は有馬を重要視するようになる。
 

この兵糧攻めの効果は大きく、長治による籠城作戦が開始してからおよそ2年が経過すると城内の兵糧はついに尽きることとなる。そして長治は自決。三木城が開城した天正八年(1581年 )の2月、秀吉は有馬温泉に浴し城攻めによる疲労のため深く眠りこけたという。これが秀吉の有馬入湯に関する最古の記述である(有馬地誌)。秀吉は明智光秀や柴田勝家、徳川家康ら敵対勢力と争いを繰り広げている最中であってもしばしば有馬を訪れていた。1590年には千利休なども招き大茶会を開催。1594年には自身のための湯治施設として湯山御殿を建設。しかし、1596年閏7月に発生した慶長伏見地震によって湯山御殿は全壊し、有馬温泉も壊滅的な被害を受ける。当時、地域一帯を領地とし何よりも有馬温泉を愛した秀吉は大規模な改修工事を実施。1年にも及ぶ工事の結果有馬の泉源は守られ、それから350年にわたって改修工事を行う必要がなかったと言う。


次回、「サウナー、秀吉」




<参考文献>
https://kobecco.hpg.co.jp/32282/

太閤豊臣秀吉は如何に有馬温泉を愛したか

https://www.arima-gh.jp/ichigoichie/ahw03/

https://www.homemate-research-castle.com/useful/16974_tour_055/



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