2023-11-04 NEWS

秀吉と温泉 その2

有馬温泉 太閤橋(兵庫県神戸市)


山崎の戦い

さて、秀吉の中国遠征が成功したのも束の間、1582年6月2日に明智光秀が謀反を起こし信長が切腹。明智光秀を討てば天下統一を果たせると鼓舞された秀吉は毛利方と講和を図り、3ヵ国の譲渡と清水宗治の自刃で和解。備中高松城から山城国・山崎までの200kmを10日で踏破を決行。秀吉が山崎に着く頃には兵の数は4万に増え、一方明智光秀は、毛利氏が秀吉の背面をつくものと期待したが毛利氏は呼応せず、約1万6000の兵をもって対陣した。秀吉軍が明智軍本体の側面を突いたことが功を奏し、合戦は1日で終戦。明智光秀は敗走の途中、山城国小栗栖(おぐるす)で土民に襲撃され12日間の天下統一を終える。この勝利によって秀吉はのちの清洲会議で信長の後継者としての地位を固めることになる。


そして、秀吉はこの年から1598年までの17年間「太閤検地」を実施。それまで、土地に関しては申告による情報しかなかったため年貢を納める基準があいまいであったが、太閤検地では秀吉が役人を送り、ほぼ同一の基準で全国の田畑や屋敷の面積などを調べた。さらに、米を量る升(ます)を統一することで全国から公平に年貢を取れるようにし土地の生産力を米の量で表わす「石高制」を確立する。


次回、「秀吉、有馬温泉で戦の疲れを癒す」




<参考文献>

https://www.touken-world.jp/tips/10365/
https://kojodan.jp/castle/252/memo/974.html

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